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Rokuhara chỉnh quân nhà Taira.
六波羅殿の御一家の君達といひてし ば、花族も英雄も面をむかへ肩をな ぶる人なし。されば入道相國のこし うと、平大納言時忠卿ののたまひけ は「此一門にあらざらむ人は皆人非 なるべし。」とぞのたまひける。か ゝりしかば、いかなる人も相構へて ゆかりにむすぼほれんとぞしける。 文のかきやう烏帽子のため樣よりは じめて何事も六波羅樣といひてけれ 、一天四海の人皆是をまなぶ。
又いかなる賢王聖主の御政も攝政關 の御成敗も世にあまされたるいたづ 者などの、人のきかぬ處にてなにと なうそしり傾け申事は常の習なれど 、此禪門世ざかりの程は聊いるかせ も申者なし。其故は入道相國のはか りごとに十四五六の童部を三百人そ へて、髮をかぶろにきりまはし、あ き直垂をきせて、めしつかはれける が、京中にみち/\て、往反しけり 自ら平家の事あしざまに申者あれば 一人きゝ出さぬほどこそありけれ、 餘黨に觸廻して、其家に亂入し資材 具を追捕し、其奴を搦とて、六波羅 ゐてまゐる。されば目に見、心に知 るといへども、詞にあらはれて申者 し。六波羅殿の禿と云ひてしかば、 をすぐる馬車もよぎてぞ、通りける 。禁門を出入すといへども姓名を尋 るゝに及ばず、京師の長吏これが為 目を側むとみえたり。
吾身榮花
吾身の榮花を極るのみならず、一門 に繁昌して、嫡子重盛、内大臣の左 將、次男宗盛、中納言の右大將、三 男知盛、三位中將、嫡孫維盛、四位 將、すべて一門の公卿十六人、殿上 三十餘人、諸國の受領、衞府、諸司 、都合六十餘人なり。世にはまた人 くぞ見えられける。
昔奈良の御門の御時、神龜五年、朝 に中衞の大將をはじめおかれ、大同 年に中衞を近衞と改られしよりこの かた、兄弟左右に相並事僅に三四箇 なり。文徳天皇の御時は左に良房右 臣左大將、右に良相、大納言の右大 將、是は閑院の左大臣冬嗣の御子な 。朱雀院の御宇には左に實頼、小野 殿、右に師輔、九條殿、貞信公の御 子なり。御冷泉院の御時は、左に教 、大二條殿、右に頼宗、堀河殿、御 の關白の御子なり。二條院の御宇に は左に基房、松殿、右に兼實、月輪 、法性寺殿の御子なり。是皆攝祿の の御子息、凡人にとりては其例なし 。殿上の交をだにきらはれし人の子 にて禁色雜袍をゆり、綾羅錦繍を身 まとひ、大臣大將になて、兄弟、左 右に相並事、末代とはいひながら不 議なりし事どもなり。
其外御娘八人おはしき。皆とり/\ 幸給へり。一人は櫻町の中納言重教 の北の方にておはすべかりしが、八 歳の時約束ばかりにて平治の亂以後 きちがへられ、花山院の左大臣殿の 臺盤所にならせ給て君達あまたまし ましけり。
抑この重教卿を櫻町の中納言と申け 事はすぐれて心數奇給へる人にて、 ねは吉野山をこひ、町に櫻をうゑな らべ、其内に屋を立て、すみたまひ かば、來る年の春ごとに、みる人櫻 とぞ申ける。櫻はさいて七箇日にち るを、名殘を惜み天照御神に祈申さ ければ、三七日迄名殘ありけり。君 賢王にてましませば神も神徳を輝か し、花も心ありければ、二十日の齡 たもちけり。
一人は后にたゝせ給ふ。王子御誕生 りて皇太子に立ち、位につかせ給し ば、院號かうぶらせ給ひて、建禮門 院とぞ申ける。入道相國の御娘なる へ、天下の國母にてましましければ かう申におよばず。一人は六條の攝 政殿の北政所にならせ給ふ。高倉院 在位の時御母代とて准三后の宣旨を うぶり、白河殿とておもき人にてま しましけり。一人は普賢寺殿の北の 所にならせ給ふ。一人は冷泉大納言 房卿の北方。一人は七條修理大夫信 隆卿に相具し給へり。又安藝國嚴島 内侍が腹に一人おはせしは、後白河 法皇へまゐらせたまひて女御のやう にてぞましましける。其外九條院の 仕常葉が腹に一人。これは花山院殿 上臈女房にて廊の御方とぞ申ける。
日本秋津島は纔に六十六箇國、平家 行の國三十餘箇國、既に半國にこえ り。其外莊園田畠いくらといふ數を しらず。綺羅充滿して、堂上花の如 。軒騎群集して門前市をなす。楊州 金、荊州の珠、呉郡の綾、蜀江の錦 、七珍萬寶一として闕たる事なし。 堂舞閣の基、魚龍爵馬の翫物、恐ら は帝闕も仙洞も是にはすぎじとぞ見 えし。
祇王
入道相國、一天四海をたなごゝろの ちににぎりたまひし間、世のそしり もはばからず、人の嘲りをもかへり 見ず、不思議の事をのみし給へり。 とへば其比都に聞えたる白拍子の上 、祇王祇女とて兄弟あり、とぢとい ふ白拍子が娘なり。姉の祇王を入道 國最愛せられければ、是によて妹の 女をも世の人もてなす事なのめなら ず。母とぢにもよき屋つくてとらせ 毎月百石百貫をおくられければ、家 富貴してたのしい事なのめならず。
抑我朝に白拍子のはじまりける事は 昔鳥羽院の御宇に島の千歳和歌の前 てこれら二人がまひいだしたりける なり。始めは水干に立烏帽子、白鞘 をさいて、舞ひければ、男舞とぞ申 る。然るを中比より烏帽子、刀をの けられ、水干ばかりをもちゐたり、 てこそ白拍子とは名付けれ。
京中の白拍子ども祇王が幸の目出度 やうをきいてうらやむ者もあり、そ む者もありけり。羨む者共は「あな めでたの祇王御前が幸や。おなじあ び女とならば、誰もみなあの樣でこ ありたけれ。いかさま是は祇といふ 文字を名についてかくはめでたきや ん。いざ我等もついて見む。」とて は祇一と付き、祇二と付き、或は祗 福祗徳などいふ者も有けり。そねむ どもは「なん條名により、文字には るべき。幸はたゞ前世の生れつきに てこそあんなれ。」とてつかぬ者も ほかりけり。
かくて三年と申に又都にきこえたる 拍子の上手一人出來たり。加賀國の のなり。名をば佛とぞ申ける。年十 六とぞきこえし。「昔よりおほくの 拍子ありしかども、かかる舞は、い だ見ず。」とて京中の上下もてなす 事なのめならず。佛御前申けるは「 天下に聞えたれども、當時さしもめ たうさかえさせ給ふ平家太政の入道 殿へめされぬ事こそ本意なけれ。あ びもののならひ、なにかはくるしか べき。推參して見む。」とて、ある 時西八條へぞまゐりたる。人まゐて 當時都にきこえ候佛御前こそまゐて へ。」と申しければ、入道「なんで うさやうのあそびものは人の召に隨 こそ參れ。左右なう推參する樣やあ 。祇王があらん處へは神ともいへ、 佛ともいへ、かなふまじきぞ。とう \罷出よ。」とぞの給ひける。佛御 はすげなういはれたてまつて、已に いでんとしけるを、祇王、入道殿に けるは「あそび者の推參は常の習で そ候へ。其上、年もいまだをさなう 候ふなるが、たま/\思たてまゐり 候を、すげなう仰られてかへさせ給 ん事こそ不便なれ。いかばかりはづ かしうかたはらいたくも候ふらむ。 がたてし道なれば、人の上ともおぼ ず。たとひ舞を御覽じ、歌をきこし めさずとも、御對面ばかりさぶらう かへさせ給ひたらば、ありがたき御 でこそ候はんずれ。たゞ理をまげて 、めしかへして御對面さぶらへ。」 申ければ、入道、「いで/\、我御 があまりにいふ事なれば、見參して かへさむ。」とてつかひを立てぞめ れける。佛御前はすげなういはれた まつて車に乘て既にいでんとしける が、めされて歸參りたり。入道出あ 對面して「今日の見參はあるまじか つるを、祇王が何と思ふやらん、餘 りに申しすゝむる間、か樣に見參し 。見參する程にてはいかで聲をもき であるべきぞ。今樣一つうたへかし 。」とのたまへば、佛御前「承りさ らふ。」とて今樣一つぞ歌うたる。
君をはじめて見るをりは、千代も歴 べし姫小松、
御前の池なる龜岡に、鶴こそ群れ居 遊ぶめれ。
とおし返し/\三返歌すましたりけ ば、見聞の人々みな耳目をおどろか 。入道もおもしろげに思ひ給ひて、 「我御前は今樣は上手でありけるよ 此定では舞も定めてよかるらん。一 見ばや。鼓打めせ。」とてめされけ り。うたせて一番舞たりけり。
佛御前は髮姿よりはじめてみめ形う くしく聲よく節も上手でありければ なじかは舞もそんずべき。心も及ば ず舞すましたりければ、入道相國舞 めで給ひて佛に心をうつされけり。 御前「こはされば何事さぶらふぞや 。もとよりわらはは、推參の者にて だされまゐらせさぶらひしを、祇王 前の申状によてこそ召返されても候 に、加樣にめしおかれなば、祇王御 の思ひ給はん心のうちはづかしうさ らふ。はや/\暇をたうで出させお はしませ。」と申ければ、入道、「 べて其儀あるまじ。但祇王があるを ゞかるか。其儀ならば祇王をこそい ださめ。」と宣ひける。佛御前「そ 又いかでかさる御事候べき。諸共に しおかれんだに心うう候べきに、ま して祇王御前を出させ給ひて、わら 一人めしおかれなば、祇王御前の心 うちはづかしう候ふべし。おのづか ら後までわすれぬ御事ならば、めさ て又は參るとも、今日は暇を給らむ 」とぞ申ける。入道「なんでう其儀 あるべき。祇王とう/\罷出でよ。 と御使かさねて三度までこそ立てら けれ。祇王もとよりおもひ設けたる 道なれども、さすがに昨日今日とは よらず。いそぎ出べき由頻にのたま 間、はき拭ひ、塵ひろはせ、見苦し き物共とりしたためて出づべきにこ 定まりけれ。一樹の陰に宿り合ひ、 じ流をむすぶだに別はかなしき習ぞ かし。まして此三年が間住なれし處 れば、名殘もをしう悲しくて、かひ き涙ぞこぼれける。さてもあるべき 事ならねば、祇王すでに、今はかう て、出けるが、なからん跡の忘れ形 にもとや思ひけむ、障子になく/\ 一首の歌をぞかきつけける。
萠出るも枯るゝも同じ野邊の草、何 か秋にあはではつべき。
さて車に乘て宿所に歸り、障子の内 倒れ臥し、唯泣くより外の事ぞき。 や妹是をみて「如何にやいかに。」 ととひけれども、とかうの返事にも ばず。具したる女に尋ねてぞさる事 りともしりてける。さる程に毎月に 送られつる百石百貫をも今はとゞめ れて、佛御前がゆかりの者共ぞ、始 て、樂み榮えける。京中の上下、「 祇王こそ入道殿よりいとま給はて出 たんなれ。いざ見參して遊ばむ。」 て、或は文をつかはす人もあり、或 は使を立つる者もあり。祇王されば て今更人に對面してあそびたはぶる きにもあらねば、文を取入るゝ事も なく、まして使にあひしらふ迄もな りけり。是につけても悲しくていと 涙にのみぞしづみける。
かくて今年も暮れぬ。あくる春の比 入道相國、祇王が許へ使者を立てて 「いかに其後何事かある。佛御前が あまりにつれ/\げに見ゆるに、ま て今樣をもうたひ、舞などをも舞て なぐさめよ。」とぞ宣ひける。祇王 とかうの御返事にも及ばず。入道「 ど祇王は返事はせぬぞ。參るまじい 。參るまじくば、其樣を申せ。淨海 もはからふ旨あり。」とぞ宣ひける 母とぢ是を聞くにかなしくて、いか るべしともおぼえす、なく/\教訓 しけるは、「いかに祇王御前、とも くも御返事を申せかし、さやうにし られ參らせんよりは。」といへば、 祇王「參らんとおもふ道ならばこそ がて參るとも申さめ。參らざらんも 故に何と御返事を申すべしともおぼ えず。此度めさんに參らずばはから 旨ありと仰せらるゝは、都の外へ出 るゝか、さらずば命を召さるゝか、 是二つによも過ぎじ。縱都を出さる とも、歎くべきにあらず。たとひ命 召さるゝとも、惜かるべき又わが身 かは。一度憂きものに思はれ參らせ 二度面をむかふべきにもあらず。」 て、なほ御返事をも申さゞりけるを 、母とぢ重ねて教訓しけるは、「天 下に住ん程はともかうも入道殿の仰 ば背くまじき事にてあるぞ。男女の 縁宿世今にはじめぬ事ぞかし。千年 年と契れども、軈て離るゝ中もあり 白地とは思へどもながらへ果る事も あり。世に定なきものは男女の習な 。それに我御前は此三年まで思はれ ゐらせたれば、ありがたき御情でこ そあれ。めさんに參らねばとて命を しなはるゝまではよもあらじ。唯都 外へぞ出されんずらん。縱ひ都を出 さるとも、我御前たちは年若ければ 如何ならん岩木のはざまにても過さ 事安かるべし。年老い衰へたる母都 の外へぞ出されんずらん。習はぬ旅 住居こそかねて思ふも悲しけれ。唯 を都の内にて住果させよ。其ぞ今生 後生の孝養と思はむずる。」といへ 、祇王うしと思し道なれども、親の を背かじと、なく/\又出立ける心 の中こそ無慚なれ。一人參らむはあ りにものうしとて妹の祇女をも相具 けり。其外白拍子二人、惣じて四人 一車に乘て、西八條へぞ參たる。さ /\召されたる處へはいれられずし 、遙に下りたる處に座敷しつらうて 置かれたり。祇王「こは、されば、 事ぞや。我身に過つ事は無けれども すてられたてまつるだにあるに、座 敷をさへ下げらるゝ事の心うさよ。 かにせむ。」と思ふに、知らせじと ふる袖のひまよりも餘りて涙ぞこぼ れける。佛御前是を見て、あまりに はれに思ければ、「あれはいかに、 頃召されぬ所にても候はばこそ。是 へ召され候へかし。さらずばわらは 暇を給べ。出でて見參せん。」と申 れば、入道「すべて其儀あるまじ。 」と宣ふ間、力及ばで出でざりけり 其後入道は祇王が心の内をも知たま ず、「いかに其後何事かある。さて は佛御前があまりにつれ/\げに見 るに、今樣一つ歌へかし。」とのた へば、祇王參る程では、ともかうも 入道殿の仰をば背くまじと思ひけれ 、落つる涙をおさへて、今樣一つぞ うたる。






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